ハメス・ロドリゲスの海外移籍までの軌跡がすごすぎる

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BAS22. BUENOS AIRES (ARGENTINA), 13/12/2009.- El jugador de Banfield James Rodríguez celebra hoy, domingo 13 de diciembre de 2009, después de que su equipo ganó el Torneo Apertura argentino en el estadio La Bombonera de Buenos Aires (Argentina). EFE/Cézaro De Luca

ブラジルワールドカップ後、超ビッグクラブ、レアル・マドリードに移籍し、世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たしたハメス・ロドリゲス。しかしここまでたどり着くには決して簡単な道のりではなかった。今回はハメスがコロンビアのエンビガードFCでプロデビューしてからアルゼンチンのバンフィエルドに移籍したときのエピソードを紹介する。

14歳でコロンビアの中小クラブであるエンビガードFCでデビューを果たし、翌年2部で優勝を経験したハメスの次の目標は海外のリーグでプレーすることだった。そのためにハメスがしたことは、なんと自分のプレーの動画を撮影し、海外のチームに送りつけたのだ。その裏ではハメスの育ての親であるフアン・カルロス・レストレポさんが動いていた。動画の編集もフアン・カルロス・レストレポさんがやった。

その動画を見たのはアルゼンチンの代理人シルビオ・サンドリだった。シルビオ・サンドリは最初にハメスの動画を見たとき、「左利きのものすごいテクニックのある選手だ」と思ったという。「すぐに興味がわいたよ。ボールコントロールやボールタッチが美しかったんだ」。

そして2008年ハメスはアルゼンチンのバンフィエルドに引き抜かれた。当時17歳だったハメスを追って育ての親フアン・カルロス・レストレポさんもアルゼンチンに引っ越した。しかし思春期を迎えたハメスにとってこの時期は大変難しい時期でもあった。前述の代理人シルビオ・サンドリはこう振り返っている。

「とても大変でした。彼はよく泣いていたし、コロンビアにもいつも電話をかけて、帰りたいと言っていました。順応するのが大変だったんです。特にコロンビアではレギュラーだったのに、ここでは控えに回ることが多かったので。練習もコロンビアよりもハードで、こんなに走るのは耐えられない、ベンチにいるために来たんじゃない、帰りたい、と嘆いていたんです。」

一方ハメスは当時のことをこう振り返っている。

「最初は一人でアパートで生活していたんですが、後から2人コロンビアの選手が来ました。試合に出られるようになるまではとてもつらかったです。」

しかしハメスはつらい中を耐えに耐えた。体の成長と共にフィジカルも強くなり、練習にもついていけるようになった。そしてアルゼンチンの文化や習慣にも慣れ、やがて周囲の信頼を得たのだ。ハメスは移籍した翌年の2009年にはレギュラーでコンスタントに試合に出場、バンフィエルドの史上初優勝にも貢献した。

つらい出来事も今となってはいい思い出。アルゼンチン時代のことはハメスにとって決して忘れられないという。特に頭に焼き付いているのが「アルゼンチンのスタジアムで、あの熱気と情熱はすごかった。中でもバンフィエルドのスタジアムは特別。サポーターとの距離がすごく近くて、みんなで歌を歌い、飛び跳ねて応援するんです。あそこではプレーするだけじゃなく、観戦するのも面白かった」と話している。

欧州とアルゼンチンリーグの違いについては、「欧州リーグはもっと冷たい感じで、アルゼンチンのような熱気はありません。ほかのどこの国にもそれはないですね」と、特別な思い入れを明かした。