ハメス・ロドリゲスのプロフィール

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本名ハメス・ダビド・ロドリゲス・ルビオ
1991年7月12日に生まれ
身長180cm 体重75kg
コロンビア・ククタ出身
左利き

ハメス・ロドリゲスは1991年7月12日にコロンビア東部の都市ククタで誕生。幼いときにイバゲに引越し、幼年期のほとんどを過ごした。4歳でサッカーを始め、いつもポジションは攻撃的MFで、ゲームメーカーだった。ハメス・ロドリゲスが子供の頃サッカーを続けてこられたのは母親ピラル・ルビオ・ロドリゲスさんのサポートが欠かせなった。というのも3歳にして父親が母親と離婚し、家を出ていったからだ。

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3歳の誕生日を祝うハメス

父親のウィルソン・ロドリゲスもまたサッカー選手だった。それも将来を有望されたコロンビアの期待の星だった。1986年にソ連で開かれたワールドユースではコロンビア代表として出場するほどで、誰もがその後もコロンビアを背負っていく選手になるものばかりだと思っていた。しかしウィルソン・ロドリゲスはアルコール中毒だった。そのうち彼は練習を放棄してしまうようになり、いつの間にかサッカー界から消えていった。夫婦が離婚したのもアルコールが原因だったのだ。母親のピラルさんは後に別の男性フアン・カルロス・レストレポさんと再婚したものの、しばらくは女手ひとつで息子を懸命に育てた。そんな母親のことをハメスは良き友達であり、助言者であると話している。

もともとハメスの才能を見抜いたのは母親ではなく、むしろ育ての親であるフアン・カルロス・レストレポさんのほうだった。フアン・カルロスさんはまだ幼かったハメスのボールの蹴り方を見て、この子には特別な才能があると信じ、サッカースクールに通わせたのだ。現在では身長も180cmあるが、子供の頃は他の子たちと比べても小さかったため、フアン・カルロスさんは食事などにも細心の注意を払ったという。

イバゲに住んでいた頃ハメス・ロドリゲスは、トリーマ・インファンティーレスを始めとする、地元の複数のサッカーチームを渡り歩いた。どのチームに行っても背番号は必ず10番だった。12歳のときにはコロンビアのジュニア世代における代表的な大会であるポニー・フットボールにアカデミーア・トリメンセ・デ・フットボールの一員として出場し、見事優勝に貢献した。

そんなハメス・ロドリゲスの才能に目をつけたのはエンビガードFCだった。エンビガードFCはアンティオキア県に位置する、人口わずか十数万人の田舎町エンビガードの小さなクラブである。しかしエンビガードFCにはコロンビアリーグ1部のプロチームがあった。ハメス・ロドリゲスは同チームに移籍を決めると、すぐさまイバゲからメデジンに引越した。メデジンはエンビガードとほど近いアンティオキア県の県都であり、首都ボゴタに続く第二の都市である。ここから毎日練習のためにエンビガードにまで通っていったのだ。その甲斐あってかハメス・ロドリゲスはメキメキと頭角を現し、14歳にしてトップチームの試合に出場、見事プロデビューを果たした。チームは翌年2部に降格したが、2部では優勝を経験。ハメスの活躍もありわずか1年でチームは1部に復帰した。

時を同じくしてU17コロンビア代表として韓国U17ワールドカップ予選に出場、2007年には本大会でもプレーした。U17では南米選手権にも出場し、準優勝している。この頃の活躍を見たアルゼンチンの強豪CAバンフィエルドがハメス・ロドリゲスに接触、翌年に移籍が実現した。当時ハメス・ロドリゲスは若干17歳。アルゼンチンリーグで17歳の外国人選手がプレーするのは史上初めてのことだった。2月7日にアルゼンチンリーグデビューを飾り、そのわずか20日後にゴールを挙げたときも、最年少外国人プレーヤーのゴールとしての記録を残している。CAバンフィエルドでは2009年からレギュラーの座を奪い、リーグ優勝も果たした。CAバンフィエルドがアルゼンチンリーグで優勝したのは史上初。これがきっかけでCAバンフィエルドはリベルタドレース杯にも出場、ハメス・ロドリゲスは7試合に出場し、5ゴールをマークした。

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バンフィエルド時代のハメス

2010年7月6日には4年契約、510万ユーロの移籍金でポルトガルの強豪FCポルトに移籍。在籍中にはUEFAヨーロッパリーグ(UEFAカップ)を含む5つのタイトルを奪取した。FCポルトには4シーズン在籍し、83試合に出場、30ゴールをマークしている。コロンビアのU20代表に選ばれたのもこの頃で、母国で開催されたU20ワールドカップにも出場した。その後、2011年9月29日に初めてA代表に召集された。A代表でのデビュー戦は10月11日のボリビア戦、この試合でハメス・ロドリゲスはいきなりMVPに選ばれている。

2013年には4500万ユーロでモナコに移籍。1シーズンで38試合に出場し、10ゴールを記録した。モナコ在籍中にはブラジルワールドカップが開催され、コロンビア代表の10番として出場。大会最多得点の6ゴールを上げ、得点王に輝いた。この活躍がきっかけで大会後にはレアル・マドリードに移籍。その期待の大きさかいきなり背番号10番を任せられている。

ハメス・ロドリゲスはMFでプレーすることが多いがFWでもプレーできる。そのカリスマ性とクオリティーの高さからコロンビアの英雄バルデラアの後継者との呼び声も高い。得点能力も十分だが、パスの精度も高くアシストも多く記録することで知られている。左利きにも関わらず右でもボールコントロールも上手く、シュートのときも両脚を使い分けることができる。また、ドリブルするときに顔を上げたままでできるのが特徴で、そのせいで広い視野を保つことができる。そのスタイルはポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドをお手本にしたといわれている。